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【第九回】仕事と生活のシナジー

今も昔も寂しいものです、家族恋しい単身赴任

ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)が問われはじめて久しくなりました。一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、人生の各段階に応じて多様な生き方が選択、実現できる社会づくりが追及される現代社会。 最近では、「ワーク・ライフ・ハーモニー」「ワーク・ライフ・シナジー」などと表現されてもいるようですね。

ところで、古代日本社会において一人ひとりのワーク・ライフ・バランスは如何様なものだったのでしょうか。今回は、今から 1300 年前に生きた、ある一人の人間の働き様、生き様を覗いてみましょう。その人の名は、奈良時代の政治家のひとり、大伴家持(やかもち)。「万葉集」の編纂に関わった歌人としても有名ですね。

「万葉集」巻第十七より……。

草枕旅行く君を幸くあれと 斎瓮すゑつ 吾が床の辺に
大伴坂上郎女

(意訳:旅行くあなたが無事なようにと神に祈るため、斎瓮(神事用の土器)を据えました。 私の床のそばに。)

家持の叔母であり、姑(妻の母)でもある 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が、越中(今の富山県)へ国司(地方官)として赴任することが決まった家持を思い、詠んだ歌。家持の旅の安全を祈る気持ちが込められています。

21才で天皇の身辺警護の任に着いた家持は、その8年後、越中への赴任を命じられます。家持は都生活に後ろ髪引かれつつ、ひとり越中に向かいました。今でいう「単身赴任」です。

人事異動や転勤? は、 1300 年前から実施されていました。さすがに、今のように自己申告制度やFA制度はなかったようですが(苦笑)、その目的は、古代も現代もさほど変わらないようです。

【参考】人事異動を行なう目的(現代)

■ 後継者の育成、能力の開発
 ■ 労働意欲の向上、同一陣容のマンネリ化排除
 ■ 労働力の効率的活用
 ■ 人脈の形成
 ■ 経営戦略に見合った組織運営
 ■ 特殊プロジェクトやタスク遂行

「宮内少輔」に昇格したばかりの家持には、この人事異動は寝耳に水だったようです。しかし、いずれは地方政治に携わらねばならないのが、この時代の 政治家 。この赴任には、人材 育成や人脈形成の目的もあったようです。

昇降格、昇進がタテの異動とすれば、転勤はヨコの異動。このタテとヨコの異動の連鎖が、一人ひとりのキャリア、ということになります。 組織のトップとしての役割や責任を20代のうちに経験をすることで、家持は政治家としてのスキルを磨いていきました。

【参考】広義の人事異動の種類(現代)

■ 職制上の昇進・降職(役職の異動)
 ■ 資格制度上の昇格・降格(職能資格制度の中での異動)
 ■ 配置転換(同一水準と思われる他の職位への異動)
 ■ 転勤(同一企業内の事業所間の異動)
 ■ 在籍出向(会社に籍を残したまま関係会社等へ異動)
 ■ 転籍出向(籍も関係会社に移す異動)

「万葉集」巻第十七より……。

大王の 任まけのまにまに 大夫ますらをの 心振り起こし
足引の 山坂越えて 天ざかる 夷に下り来
息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬ
うつせみの 世の人なれば 打ち靡き 床に転こい伏し
痛けくし 日に異けに増さる たらちねの 母の命の
大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと
待たすらむ 心寂さぶしく 愛はしきよし 妻の命も
明けくれば 門に寄り立ち 衣袖ころもでを 折り返しつつ
夕されば 床打ち払ひ ぬば玉の 黒髪敷きて
いつしかと 嘆かすらむそ(以下略)

(意訳:天皇の命のままに、国司としての責任に心を振起し、いくつもの山を越えてこの越中の国に赴任してきた。
一息つく暇もなく、年月もいくらも経っていないのに、しょせんこの世の人間なのでぐったりと床に倒れ伏して、苦しみは日ごとに勝るばかりだ。
母上は落ち着かぬ思いで、心のうちではいつ帰ってくるかとお待ちだろう、愛しい我が妻も、夜が更けると門に寄りかかって立ち、衣の袖を折り返し夕方になると床を打ち払っては、黒髪を敷いて、いつになったらと嘆いているだろう。以下略)

人生の節目は、後々になって分かるもの

家持の単身赴任は5年に及びました。次は、任期を終えた際の家持の歌です。

「万葉集」巻第十九より……。

しなざかる 越に五年住み住みて 立ち別れまく 惜しき宵かも
大伴家持

(意訳:この越中の国に5年住み続けて、立ち別かれることの惜しい今宵よ。)

惜別の歌でありながら、晴れ晴れとした家持の顔が浮かんでくるようですね(笑)。

万葉集に残された歌は全部で4536首。このうち家持が作者であるとわかっているものは473首。そのうちの220余首がこの越中で詠まれています。さらに、家持の部下たちが詠んだ歌や、この地に伝わる歌などを加えると、作品数は337首に及びます。

家持の官人生活50数年中、この5年間が彼にとってどのような位置づけだったのか、を慮ることは 難 ( かた ) くはなさそうです。

【参考】節目におけるキャリアデザイン

都に戻った家持はその後、橘奈良麻呂の変の関係で薩摩国司への報復人事を受けたり、伊勢国守を務めたりしながら、最終的には中納言にまで登りつめ、68才でその人生を閉じました。

家持にとっては、歌は趣味でありながら、仕事と切り離すべきものではありませんでした。仕事の喜怒哀楽を歌に詠み、また、歌に込められた言霊をまた、次の仕事のエネルギーに変える。そして、後世に家持の名を知らしめたのは、彼の歌による功績によってであり、これらの歌々を通して、彼の仕事ぶりや人となりが鮮明に浮かび上がってきます。これこそがまさに、「ワーク・ライフ・ハーモニー」「ワーク・ライフ・シナジー」のように思えませんか?

次回は第十回、いよいよ最終回です。

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